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洞窟ホームレス株式会社VSFXマルチ商法詐欺

洞窟ホームレス株式会社VSFXマルチ商法詐欺

文章のみの4クルー目の4

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1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.エピ.資料



携帯会社>

家を追い出されてまもなく、林太郎さんは「会社をつくろう」ともちかけられた。

林太郎さんは携帯電話の販売のイベントの仕事に関わっていた。
その携帯電話の販売のイベントは安定していたし、会社を作ってそこにカネを、○○社から流し、新規事業を立ち上げようという計画だった。林太郎さんには、閉めて知った親の会社の権利があった。そのまま登記を使えないか?という話から湧いた話だ。
結局、会社はあらたに登記することになった。代表取締を○○社から出すと、カネの流れが実際には○○社の支店長の着服とも言われかねない内容だったので、林太郎さんが代表取締になった。実際、かたむきかけた○○社に不満を持っていた支店長が数年前からそこからカネをプールしてきていた事実があった。

携帯電話販売イベントの流れを作った○○社の支店長とその部下の2名もカネを出し、林太郎さんも含めてそれぞれ200万円ずつ、資本金600万円の株式会社ができた。そこで、家賃5万円の事務所を借り、そこに机やパソコン、コピーなどが購入され揃うことになった。携帯電話からの収益は毎月200万円くらいになった。
しかし、現実には、インターネットで仙台の国分町の飲食店の紹介をする動画のサイトをつくるために消えていった。実際、動画で飲食店を紹介すれば、食べ物はリアルに感じられるし、店のおやじやスタッフのひととなりも見えるようなものが作れる。

だが、仙台の飲食店は金銭的にほとんどカツカツだった。
新しい会社を立ち上げると、○○社の2人と、その2人が連れてきた前からの知り合いだという営業のひとと、動画サイトをうけもつ会社の社長が来て、そこでかわきものでお祝いをすることになった。
飲んでいると、途中でその動画の社長が「塩もらえますか」「なんかここ、います」「気持ち悪い」「あ、大丈夫です」と、言ってトイレのほうを指しあそこらへんに居ますねと言っていった。その後、動画の社長は来ることはなかった。


林太郎さんは、新社屋に寝泊りをした。とりこわし寸前のアパートへの不法占拠時代は毛布だったが、羽毛布団になった。
不思議なもので、「もの」はそろう。布団も、綺麗な羽毛布団がそばのマンションのゴミ捨て場に(粗大ゴミだから出してはいけない)捨てられていた。

ここらへんは、街中に近いため、水商売や風俗のひとが住んでいるようだった。
風呂が会社にはないので、銭湯にいけない時のために、トイレで風呂に入る方法を考えた。

タカハシさんはフリマと家電修理でなんとか食べていたが、フリマで売れる派手な服と言うのが新会社の周辺で拾えるらしく、深夜になるとよく寄るのだった。たしかに、ブランド物は「なん年物、なん年物」と、移り変わりがはげしいのか、シロウト目で見ても「新しい」物がゴミとして出ているようだった。
タカハシさんの言うには、町内にひとりは「ゴミ」の管理を命がけでやっている人が居ると言う。そのひとが、いろいろ口うるさく管理することによって、「ゴミ」出しの秩序が保たれているらしいが、それぞれに勝手な決まりを持っていて、それを市の決まりだともはや信じているという。たとえば、「ビン、缶」の回収は回収ボックスごとにビンと缶を分けなければいけないなどだ。当然、市のお知らせとは違う「法律」なので、他県から仙台に来たばかりのひとは必ずこのゴミの出し方で近所のひとと嫌な思いをし、気まずくなるらしい。

また、他の地域からのゴミの「出し」は絶対ダメで、有料袋にどんなにスペースがあろうと、「自分の袋には絶対他のひとのは入れさせない」のだそうだ。

そして、この話は、いつも、仙台人とはどのようなものかに話がつながった。つまり、きまりに厳しく、「よそものに冷たい」仙台人ということになる。

携帯会社の崩壊>
新会社をたちあげて半年もしないうちに、○○社の支店長、つまり林太郎さんの会社の営業でもあり、株主でもあるひとが、○○社の本社で喧嘩をして○○社をやめてしまった。やめるとともに、林太郎さんの会社と、動画制作の会社からそれぞれ30万円ずつ給料を出すという形になった。もうひとつ別な広告代理店にも席を置き、計3社からオカネが元支店長のもとに流れるような形だ。

動画を製作した店の中には、北海道の有名な歌手の知り合いだと言う、ラジオ番組をもったひとの経営していた店もあった。(こういうひとの店は大丈夫なんだろうな)と林太郎さんは思ったが、サイト内に、番組はつくったが、そのまま代金を入金することなく閉店してしまった。(「なんだ、サイトの効果がないのじゃないか」と言われればそれまでだが)。
そんなものも多く、結局、「無料キャンペーン」などで、ほとんどが無料で作らせてもらった番組ばかりが並んでいった。

なんとか、それでも、残った○○社のもうひとりの株主が○○社から携帯電話の仕事を回したが、動画サイトの仕事がうまくとれないまま、お互いの陰口が漏れ聞こえるようになり、会社は1年で最後はお互いに話をするのも嫌という状態になったあげく、崩壊することになった。

利益は、その○○社の知り合いの会社にプールされていたが、そこは○○社のふたりがそのまま取ったらしい。携帯電話の仕事も、どこかに流れて行った。
出資金も○○社のふたりはすでにひきあげていた。
追求もせず、いろんな現金処理もあいまいなまま、実質的に現金がマイナスの状態で会社だけが林太郎さんのところに残った。

ほどなく、会社として借りていた場所も返却したため、会社は実体を失った。
会社を閉めるときにはすべてがゴミだ。売れるものなどはほとんどなく、むしろ処分にお金がかかった。


アパート時代>
携帯電話の会社を実質的に閉じた後、林太郎さんの寝場所は古い解体寸前のコンクリートのアパートになった。
1人、住んでいるようだったが、老人のようで、林太郎さんが帰るころには明かりは消えていた。おそらく、住んで1ケ月後にそのかたが亡くなられたか、あるいは施設に入ったのだろう。アパートには林太郎さんだけが勝手に住むことになったが、電気は止まってしいエントランスの灯りが消えた。
その1ケ月後解体された。

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洞窟>
そのアパートの次に移り住んだのは洞窟だった。正確には、4ケ月くらいはアパート時代と同じく、ネットカフェやサウナも利用していた。昼間の出社場所がここという感じだった。

結果、半年もたたないうちにここにけっこうな会社設備とカフェができることになる。

この場所をみつけたのは、林太郎さんが古地図をあとで説明するリョウさんと見ていた時の会話による、
広瀬川の川岸に「エゾ穴」とあった。

リョウさん「ここは?穴あるんでねすか?」
林太郎さん「穴?」
リョウさん「エゾ穴ってあんな」
林太郎さん「穴あった?」
リョウさん「善応寺のところさあったけなぁ」
林太郎さん「エゾ穴って、、、墓でしょ、蝦夷って東北が言われていたころの」
リョウさん「縄文人っすと?」
林太郎さん「明日できることは、今日しない、、、という縄文人」
リョウさん「墓がや…」
林太郎さん「墓じゃあーねー」

しかし、そこに言ってみたら、けっこうなスペースのこの場所、水力発電所あとの洞窟を発見したのだ。
早速そこにタカハシさんと机を運んで事務所にということになった。


洞窟とネットカフェ>
林太郎さんが洞窟に机を運び込む前には、ドアの前に土がたまっていて、ドアは全開しなかった。

スコップを使って、タカハシさんと林太郎さんとで、その土をよけた。そのあと、自転車のチェーンの鍵をドアの取っ手と、穴の開いた部分とをつないでドアの鍵にした。
パソコンを持ち込んでいたので、盗難を防ぐためだった。

灯りは、入って左端が開口部になっているので、そこから雨がはいらないぎりぎりのラインが、調度、舞台の降りたところのように段がさがっていて、そこに仕事の場所をつくった。イスは、当初はそこに捨てられていたポリバケツに新聞を敷いて、おしりが痛くならないようにして椅子にした。

最初の段階では、洞窟は住まいにはしなかった。(そのあと、寝袋を置いた。「たとえ寝心地の悪いベッドでも, 自分でつくったのだから 仕方ない」とよく言っていた)。
夜になると、対岸の明かりは、その当時はドアの前にうっそうと木が茂っていたので、まっ暗になる。また、取り壊し直前のアパートに居たときに、大きな地震があって怖かったのを考え、寝るのはネットカフェか、3,4日おきのサウナで済ませた。
サウナは、高齢者がこんな会話を交わす。
「今日おそいんでないの?」
毎日来ている高齢者もいるのだ。
サウナに行くと、お風呂を十分に楽しもうと、湯船の中で仕事をした。出力したものをサウナや水風呂に持ち込み、風呂のヘリなどを机にして鉛筆で書き込みを続けた。まるで、食い貯め、寝貯めを思考するような無茶な入り方のため、めまいをおこしながら、風呂貯めをする気持ちで時間一杯まで居た。その日だけは、ヘヤートニック、ヘアリクイド(リキッドと書いていない)、スタイリングフォーム、化粧水、スキンミルク、シャンプー、リンスが使い放題だ。
しかし、風呂は翌日には入りたくなる。というわけで、夏場には、トイレで身体を洗う方法を続行していた。



洞窟、アツシ>
備品はタカハシさんがバイクにつけて夜に運んできた。机などもさかさまにバイクの荷台に載せて運んできた。コピー機なども運びこんでいたが、まだ電気はない。発電機を階下の大きな穴の部屋に置いてその電気でパソコンなどを動かす計画を立てていた。
インターネットはつながっていなかった。メールのチェックなどにほとんど毎日ネットカフェに30分(サービス券のあるときは+30分)ですました。


不思議なことがあった。その洞窟に置いていた、液晶の割れたノートパソコンが、開いてみると直っていた。液晶が直るんだろうか?疑問はあった。
林太郎さんはパソコンを使うときに、同時に音楽もパソコンで再生し、それをイヤホンで聞きながら仕事をしていた。
仕事が終わり、蓋をしめたときに、「パチッ」と音がしたのは記憶にあった。
次の日にパソコンを立ちあげてみると、はさみこまれたイヤホンが液晶ディスプレイを割っていて、花が咲いたような模様が画面いっぱいにひろがり作業ができなくなっていた。

しかし、3日後、パソコンの液晶が壊れていたはずなのに、それが直っていた。
不思議だった。この洞窟には霊的な力でもあるのかと思った。「ぞわっ」と寒気がした。
その謎は、程なく解けた。
鍵が開いていた。 林太郎さんの机の上のパソコンを盗もうとしている若い男がいた。
しかし、(ここは、一応公共?あるいは、所有者不明の場所である。ここで、そんな主張ができるんだろうか?)と思いながら、その男が暴力形の男には見えなかったので声を出した。「すみません、それ、僕のなんだけど」
その男がアツシだった。
その男は逆に、いつも椅子にしているポリバケツを指差して言った。
「このポリバケツ、僕が運んできたんです」
液晶を直したのはアツシだった。気付かなかったが、アツシによって、ここに、電気が引かれ、ネットも有線で引かれていた。
山の上にある愛宕神社から引っ張っている。「あ、つながるのか」びっくりした。

アツシはここを高校のときに使っていたらしい。当時はポリバケツを並べてそれを椅子にして、授業をさぼって、正確には学校をさぼってここで時間をつぶしていた。もとは、アツシをいじめていた不良連中がタバコを吸いにここに来ていた。彼らはアツシから金を脅し取っていた。アツシが彼らの跡をつけて、ここにたどり着いたが,その時にはショウタにナイフを鼻の穴にさしこまれ脅され追い払われた。後に、彼らは停学になり、多くは仙台を離れ、アツシの隠れ家となった。
※その不良連中のひとりショウタがこのずっとあとで、後にこの洞窟に来るようになるヌマさんと絡んでくる。
初期の洞窟
蚊がひどかったので、蚊帳(昔のやつ)を2つ入り口と、アーチのところにつけた。

左は広瀬川でトイレ中。

アツシの直近)
アツシがバイトで入った会社は印刷を主体にした企画会社だった。アツシは、仙台の文化財などのデータをテキストで入力していた。この仕事は仙台市からけっこうな金額で受注しているのだろうが、アツシの時給は750円だった。
その会社では、県の補助金をもらってはじめたネット事業があった。電子書籍とWEBをからめての補助事業だった。その会社の当時の社長は、55歳くらいで、秀吉に顔が似ていた。以前はその取引先のデザイン会社の社長だったが、秀吉自身のデザイン会社への貸付金のからみなどで、前社長を追い出す株主総会がひらかれた。そのいざこざのときに、急いでダミーに立てられた社長が秀吉だった。その社長が推し進めていたのが、その県の補助金の事業だったが、アツシはその担当者に抜擢された。
秀吉は。仙台市内にサテライト事務所をおくことを推し進め、そのときにパソコンや事務機周りの購入において不正にキックバックをうけていたという噂が流れていたりしもした。また、そのネット事業は社内のコンセンサスを得て進められていた事業とは言いがたかった。
アツシはWEBの管理をしていたが、残業できない、仕事は終わらないという環境にあって、けっこうな量の仕事を持ち帰っていた。
その会社はライターが管理者になっていた。デザイナーはその下に配属される。いつも、警報(アラーム)が鳴り響いているような状態で忙しく、コミュニケーションはなく、互いになにをやっているのかの把握すら危うかった。
管理者の給与は高いが、残業は申請できない。一方、アツシの時給は750円だったが、当初は、仕事が終わらずに9時ころまで残業していた。同じ部屋にいた直属の上司ではないライターがどなりつけた。「なに、残業ーやってんだよー!」会社に入って4ケ月、はじめてそのライターがアツシに発した言葉がそれだった。自宅に持ち帰って入力もしているというのに、1ケ月にしてたかだか2万円くらいの残業代に切れているのだった。
アツシの直属の上司は一応、50歳くらいの営業部長だったが、実質は秀吉が直属だった。営業部長は仕事をしないので有名なひとで、会社に来るとほとんど悪びれずに自分の席で眠っていた。午後になるといつも同じ行き先を書いていなくなり、夕方になると帰ってきた。
この当時つらかったのは、正月やゴールデンウィークだった。時給のバイトは、連休時期は収入が減るのだ。
秀吉は、就任から2年の株主総会で、退任となった。秀吉の言うには、当時の株主が立てた予算を「クリアする自信がありません」ということで社長を辞したということだった。が、現実はどうかわからない。その後、急遽、その会社の税理士がその社長になった。アツシのところには、秀吉が株主総会後会社を去って翌日、人事部長がへらへら笑いながらやってきて言った。「ネット事業は社内でやることになったから、1ケ月後退社の命令書になります」 アツシは自分が体よく首を切られたことを「ヒッキーから立ち直ったアツシに喜ぶ」家族には言えなかった。そこで、ネットカフェや行政の提供する無料のネット環境の場所を渡り歩き、なんとかサイトをお金にできないかと自分のサイトをつくり、更新や取材などを続けていた。

洞窟と湿気と縄文と火)


洞窟は冬は暖かい。
この洞窟の一番奥には、浮浪者が住もうとしてリタイヤした痕跡があった。
思うに、梅雨の時期に、ここでなんの知恵もなしに暮らすのは不可能だと思う。おそらく、ここを離れたのは梅雨だ。
洞窟で生活と言うと、なにか縄文人や浮浪者という感じがするが、残念ながらここで生活するのは、現代人にはムリだと思う。体力が持たない。
さらに、町を歩けるような衣服の状態を維持するのがむずかしい。
社会とのつながりのために必要な背広の1着すらも置けないのが洞窟なのだ。布は1週間で湿気のために臭くなる。それは、湿気のせいだ。夏は外がどんなに熱帯でも、ひんやりとしていたが、実際めがねをかけると曇る感じだった。この洞窟が素で快適なのは、日照りの続いた夏か、冬だけだ。

ここで、生活するには、仙台の街には一切行かずに、広瀬川の魚だけを食べて、現代人の服を捨て裸で暮らすしかない。
また、ここで暮らす気ならば、藪蚊には耐えなければいけないので、やはり裸の上に毛皮が必要かもしれない。もしかすると、毛深くないと苦しいかもしれない。

まるで縄文式の洞窟のようなので、林太郎さんは湿気の解決について、縄文人はどのように湿気をクリアしていたのか調べた。



山田上ノ台遺跡に竪穴住居等の縄文時代のムラを復元した『仙台市縄文の森広場』、富沢遺跡から発掘された2万年前の旧石器時代の遺跡面を現地で保存し公開している、旧石器時代を中心とした『地底の森ミュージアム』も行った。

『仙台市縄文の森広場』仙台市太白区山田上ノ台町10番1号
『地底の森ミュージアム』仙台市太白区長町南4-3-1

縄文人の竪穴建物は、冬は暖かいが、密封性が高いと、湿気がこもるというデメリットがあって、健康上よくなかったことを知った。アメリカのSFスペクタクル映画のように、地球の文明が崩壊するまでは、不要な知識だ。
結論は、縄文人は火を建物のなかでおこしていたからクリアできていたのではということだ。(縄文式土器も、炉に貼った粘土が火を受けて偶然硬くなった事にヒントを得たらしい)。しかし、洞窟株式会社で火をたき「続ける」のは不可能だ。


(ちなみに、弥生人は高床式倉庫で床を高くすることで、風を通して湿気を防いだ。)




箱の改良、フローリング)

(洞窟の改良とすると、後に舞台になる「ズイ道」の部分も含みそうなので、箱と表記する。)

この箱部分の地面は、釘で削れば傷が深くつくくらいの硬さの石だった。
梅雨の時期になると、空調を止めると、壁面が濡れてくる。山からの湿気が染みてくるのだ。
床面も同じだった。
空調がなければとても事務所としては使えないだろう。
「青葉電気工業発電所」時代もここは現場でしかなかったと推測される。
(この遺構の資料は発見されれおらず、謎が多い)

しかし、今は空調がある。
床面はコンパネを買ってきて床に敷いてでこぼこをなくし、その上に杉材を十字ネジでとめていった。簡易なフローリングだ。

ほんとは、色を塗りたかった。



KEYWEST、リンちゃん)
仙台のジャスコの最上階の、店内が一面白のイメージの天井の高いカフェバー「KEYWEST」に、リンちゃんという茶髪のスタイルのいい子とアツシがいる。

風俗嬢が1週間後ここに来るようになった。アツシが連れてきた。
名前はリンちゃんと呼ばれていた。
アツシをいじめていた不良連中の仲間のショウタが出会いカフェでスカウトしようとしてつきまっていたつながりもあるのだが、アツシとモバゲーで知り合ったらしい。


リンちゃんの部屋、リンちゃん)
リンちゃんのパソコンが、ネットにつなげると、エロなサイトの広告画面が出るようになり、アツシはその対応をするためにリンちゃんの自宅に呼ばれた。(インターネットエクスプローラを削除し、Firefoxを使うことで症状は治まった)。
それからつきあい(友達)はじめるようになったという。

数ヶ月度、リンちゃんの部屋にストーカーが現れ、このときリンちゃんが風俗嬢だと知る。
ストーカーの詳細はここだ。リンちゃんが家に帰ると、モトカレが贈ったネコの縫いぐるみの位置が変わっていた。
「だれか、ここに入った!」
布団の上に散るように広げていたたくさんのプリクラも見られたかも、無くなっているかもしれなかったがわからなかった。郵便ポストからだれかが覗いていたり、あるとき部屋に盗聴器がしかけられているのを見つけて、怖くなってアツシに相談し、ここに住むようになった。

リンちゃんは洞窟に住むようになる。
リンちゃんは洞窟の一番日当たりのいい場所に、陣取った。
「いちばんいい場所なのに」と林太郎さんは思った。

林太郎さんはほとんどネットカフェで寝ていたので、住み始めたのは、リンちゃんが最初だと言える。
天蓋型の蚊帳がかけられて、洞窟はその部分だけ聖堂みたいな雰囲気になった。「虫が出たらどうしよう、、、」とか思ったのかもしれない。
ベッドをタカハシさんが運び込んだので、事務所はちょっとあやしい雰囲気にも見えた(もともとこの洞窟自体あやしいが)。がその話はあとにする。

メイドカフェにいたらしいコハルもアツシがここに連れてきた。あとで話すショウタが通っていたカフェに居たということと、「メイドカフェの制服を3着持っている」というので、いつのまにか「メイドカフェ」だろということになっているが、実際のところはわからない。コハルの話もあとにする。


仙台市内夜9時、リョウさん)

コハルの話より、前にリョウさんの話をしなければいけない。
リョウさんは林太郎さんがここに連れてきた。
話は、林太郎さんが家を追い出される話にさかのぼる。


林太郎さんは、先に書いた「携帯電話事件」で家を追い出され、午後9時の仙台を、自転車を漕いでいた。
4月でちょうど仙台は桜の時期だった。
まず、いきつけのカフェに行くが苦手の男の子がいたので入らずに自転車を走らせる。
自転車を走らせながら、まずは 安さだけを目標に100円ショップのうどん玉を買い、それを持って めしのハンダヤといった 独身男性ご用達の仙台では大衆食堂の大きなチェーン店に行った。かけ蕎麦を食べたあとに、そのうどん玉を入れて電子レンジであたためそれを蕎麦汁に入れて食べた。レジ係は中国人のおばちゃんだった。
また、自転車を走らせているうちに、かっこうのダンボールを時間で閉店したベローチェの前でみつけ、「この中に入って寝ればいいのでは?」と思いそのダンボールを自転車に積んで、場所を探すことにした。
しかし、ない。場所が無いのだ。ダンボールの設置場所が見つからないのだった。
解体中のような人気のない大きな廃墟のようなアパート(のちに、一時期勝手に住むが)を知っていたので、そこに設置しようかと行きかけるが、「なにか出るかも」と思い始め、怖いのでやめる。突然、地震がドンときたので、「おおくわばらくわばら」と言いながら、自転車にダンボールを積んだまま場所を探す。
モトさんから電話が来たので、事情を説明すると「今なら西公園で花見のひとがいるからそこならダンボールで寝れるんじゃない」とアドバイスされる。なーるほど。一方で「おやじ狩りがいるから気をつけてね」と釘をさされる。
西公園に向かう途中に、工事現場に捨てられている大きなプチプチのロールを入手する。「防寒はOKかもしれない」
花見会場に行くと、若者だらけだった。林太郎さんは、その話し声と、夜店の電気をおこすためのエンジンの音がうるさいので
「これはだめだなー」と、花見会場で箱を捨てる。
電話で、おやじ狩りがいるから気をつけろといわれたことも影響する。
公園を離れ街に戻る。その途中で、毛布だけで歩道橋の下に寝ているひとがる。
「ガッツあるなぁ」とおもう。けやきで有名な定禅寺通りのベンチにも毛布だけで寝ているひとがいた。しかし、「人間は型にはめられてしまうと踏み越えてしまう」ということもあるのかもしれない。
「型にはめられてしまう」というのは、多くは危ないところからの借金などの取立てによって、身柄を拘束され働かさせられるような環境を言う。
サウナの1泊の料金を見比べるために、仙台の何件かのサウナを回ろうとする。すると、知っているサウナはどこもなくなっていて、1件だけしか見つからなかった。
結局、入店時間によって、2000円,2200円,2400円という設定で24時間居れるということがわかる。
「2000円は超えたくない」
それに、24時間といわれると、居ないともったいない気持ちになってしまう。
漫画喫茶、ネットカフェをあたってみることにした。
しかし、漫画を読むだけの椅子の空間だと1000円程度だが、仙台の繁華街の「中央通、一番町、駅周辺」の3件とも、フラット(つまり足を伸ばして寝れる)になるには3時間、5時間、10時間などとあるが、1700円から2200円といったところだった。
ドリンクも、飲みたいのはコーンポタージュくらいで、飲み放題だとしても寝れるって感じがいまひとつで、値段も1700円から2200円では、サウナのほうがいいじゃないかと思い、漫画喫茶、ネットカフェはやめる。
仙台は立町のラブホ街も 見てみた。すると明け方の4時5時から料金が安くなるのがわかる。のきなみ、訪問だけしたが、
「お、埋まっているし、高い部屋しかないじゃないか」
と思う。もともと、料金は3300円からといったところだし、それは1000円台という「予算」オーバーなので、パスした。
仙台の飲み屋街の国分町にある、カプセルホテルや、ビジネスホテルを見てみる。
ビジネスホテルは高い。5000円代だ。
カプセルホテルも、3000円だった。
そのうち、またダンボールをみつける。蘭のはいっていたもので、すごくでかいのがふたつあった。
たまたまその花屋の前が、さびれたラブホだった。林太郎さんは、そこで客引きしていたあんちゃんと話をする。20000円だそうだ。
「こんなしょぼいところで客をひいているのかぁ」と思う。
自転車で走っていると話しかけてこないのだろうが、自転車を降り国分町を歩く。
中国人マッサージとかぽんびきのおじさんや超でぶったおばさん、30分3000円という中国人マッサージの女性と話す。こういう店は「たけのこ」というが、欲望に負けて身ぐるみをつぎつぎはがされる店かぼったぐりか、カードを勝手にスキャンしてという悪質な中国人マッサージが多いという噂だ。
午前3時、ダンボールを、組み合わせ、知り合いの店の駐車場に設置する。知り合いの店の2階は電気がつけっぱなしで、明るい。消し忘れらしい。もったいないスペースが2階にある。「その中にはいれば暖かいのに…」マッチ売りの少女の気分だと林太郎さんは思った。
ダンボールのなかに入ってみて、蘭を外からのぞける透明なビニールの覗き窓がいい感じなのだが、不思議と寝れない。うるさいとかではなく、眠れないのだ。
林太郎さんは、あきらめて、またさまようことにした。
大衆食堂の大きなチェーン店のさっき寄った店に戻りそこで寝ようと考える。
しかし、行ったら閉まっていた。
「ああー、24時間営業ではないのか。。。」はじめて、24時間営業ではないことを知る。
同じチェーンの24時間営業のところに行く。
今度は、天ぷらそばを注文する。
食べた後、耳栓をして帽子をまぶかにかぶって寝ようとするが、寝れない。

ここは、男のおしゃべりがうるさかった。流れる歌謡曲もじゃまで、冷蔵庫の音がうるさく、おまけにちょっとタバコくさかった。そこで、早々に立ち去る。
仙台駅にも行ってみる。「駅には電車をまつための待合室があるはずだ」と…。
ところが、仙台駅は深夜って閉まっていた。時代は浮浪者を入れないようにしているのかもしれない。1970年代にリュックを背負った若者が深夜の駅に寝泊りして全国を旅行した時代は去っていた。
ホームレスの体験本が売れているという報道をみたことがある。その作家は「拾ったものを食べない」「外で寝ない」という誓いをたてて生活していた。「え?それってホームレスなの?」と林太郎さんは思った。外で寝るからホームレスなのだ。そして、そこにはなにか踏み越えるラインがあるのだと感じた。 そういえば、その作家は眠れない時は山手線に乗り、ブックオフで買った本を古本屋に売って「せどり(差額を利益にするやりかた)」をして生活していたという。なんだ、山手線に乗れるカネがあるのか?なんだ、古書店で売るための「身分証明を持っているだ」と、ちょっと不思議だった。やってみるとわかるが、外で眠るということはほんとにできないのだ。なにかを踏み越えないと、どんなに眠くても気が高ぶってか眠れない。とにかく、ホームレスの必須条件には「外で寝る」というのがあると思った。

国分町のカプセルホテルの前を通る。
「5時以降は3時間1000円、風呂完備」とある。時計を見るとあと15分で5時なので、そこに入ることにする。カプセル室に行くと、おやじくさい。
「いやだなーー」と思いつつ、お風呂入って、早々に寝る。
3時間後におこしてくれるようフロントに頼むと、あっというまに3時間はすぎた。
8時である。
眠い。
フロントにポットにコーヒーが用意されていた。
「これ飲んでいいですか」というと、「どうぞ」といので、そこで飲んでいると
そこに同じように退出するために出てきたのがリョウさんだった。

聞いてみると当時はリョウさんは「仕事」をしていなかった。
リョウさん「つまりや、おれたちに職がないっつーのはよ、つまり、社会がおれらを要らないってことだべ。自給600円すらないってのは、おれら1時間600円の価値ないってことだべ。おれたちの命の値段は確実に新卒のコよりも安い。いらない人間ってことだべや。おどけでねぇぞわ」
林太郎さん「いらない人間?」
リョウさん「んだ、不要だっちゃ。大企業は中国に工場だべしや。日本を大事にしてないんだっちゃ。おれたちも大事にされてねえべや」

リョウさんと林太郎さんは、林太郎さんが会社をたちあげるまえに行っていた職業訓練校の「生産経営実務」のクラスで知り合った。林太郎さんが会社をやめ、ハローワークに行ってみつけたのが、職業訓練校に7ケ月通うことで失業保険が給付されるという国の制度だ。そこに通っている間は、失業保険が延長されるというものだ。
林太郎さんとリョウさんはそこの「生産経営実務」※というクラスに居た。いってみれば、管理者向けのクラスだった。時間は普通の学校と同じく、朝早くはじまり、午後の3時には解放されるというものだった。
※ 「生産経営実務」7ケ月の間、就業中の給与のほぼ7割を保証した上で、さらに、交通費をもらって、675時間に渡って、就業後に役に立つ技能を学べる国の制度。ほとんどの失業者は知らない。

そんな縁から、洞窟に、林太郎さん、タカハシさん、アツシ、リンちゃん、が来ている時点で、間島社長に提案する企画のネタがないかと、リョウさんを林太郎さんが呼んだ。


リョウさん)
「リョウさん、リョウさんは今なにをやっているの」林太郎さんが朝の国分町を歩きながら聞いた。ホストと、カラス達が多い。
リョウさん「今、サテンで占いをさせてもらっててんだけどや」
林太郎さん「仕事で?」
リョウさん「占いはもらっても500円だなっす。仕事ではねぇっちゃ」
林太郎さん「占い?」
リョウさん「占いは今はやってんですとぉ!」
リョウさん、国分町のビルの屋上から国分町を見下ろして)
「友達はみんな同じことしか言わねーべ。
んだけど、だれかに何かを言って欲しいんだと思うんだけっと、どだべ?。あどや、自分のことをそれほど深くは話したくないべ。できるなら名前も名乗りたくねーべし。あどや、占いのもつ問題の整理方法っつーのもあんのっしゃ。
タロットだとや、カードの位置にそれぞれ過去、現状、未来、対策、周囲、願望、最終結果などと意味を与えでんだぁ。不思議な能力の話しはおいて話しをすっけどや、場面場面に整理してクライアント、占い客な、クライアントとの対話を通じてや、問題や原因を明確にしていくっつー面があんだ。「タロットカード」だけでなくてや、世の中のほとんどの占いの手法ってのはよ、占われるひとが問題を整理できるようにや、どんな悩みのジャンルでも占えるようにや、問題整理 の箱が決められてんでがすと。過去、現状というようにや。
 クライアントが抱えているや、いろんな課題を整理したり、大きな固まりとして存在しているや問題点を小さな単位に砕く手法が占いにもあんだ。おれらが『生産経営実務』で習ったこともずいぶん使えるんですと。ひとと、話していくことで、問題が解決されていくというのはそういうことだと思うのっしゃ」
林太郎さん「占いね」
リョウさん「教えっつぉわ。やってみるとや、悩みや問題を抱えているのが、自分だけじゃないことがわかっから、いいど。ひとに言った言葉を自分が受けることにもなるから鍛えられるんだべな。」

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1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.エピ.資料



リョウさん、洞窟)
リョウさんは洞窟に自分のスペースをつくったが住まなかった。
リョウさんはおそらく40代の後半だと思う。リョウさんの部屋としてここに設置されている場所は正確には水力発電のための洞窟ではなく、それこそまともに縄文人の墓の部分だ。
リョウさんはNLPやコーチングなど心理学を活かした企業研修などの会社を起こそうと考えていた。


リンちゃんが怒っていた。リョウさんがここではイヤホンで音楽を聴くなとリンちゃんに言ったらしい。「なんかや、イヤホンで音楽聴いていると、コミュニケーションがとれないべー」って。「聴くなら、スピーカーで聴くべやぁ」と。
そうは言ってもリョウさんとリンちゃんはけっこう仲良く話している。
「リンちゃん、ためになる言葉はや最後にあんだぁ。話出す前に深呼吸するという方法もあるのっしゃ。ひと呼吸待つのさ。正しい言葉やコメントでもや、タイミングによってはNGになっちゃうんだわ。だからや、相手が話し終えたら、『1,2,3』って3つ数えてから自分が話してみさいん」
「うーん」
「でや、今日はリンちゃん、今日はリンちゃんの話を最後まで全部きこうと思うんだけっとや、どだべ…」
こんな感じだ。



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